日本、韓国・朝鮮、中国の3国の視点で、ロシア革命から、米騒動、3・1運動、5・4運動などを考えてみましょう。3・1運動の精神が、その後の抗日独立運動、韓国の民主化闘争、南北統一志向、北東アジアの平和構築に引き継がれています。東アジアにおける日本国憲法9条の歴史的価値にも注目したいとも思います。 日時 08年3月1日(木)13:30〜17:00 会場 エデュカス東京(全国教育文化会館) 東京都千代田区二番町12-1 TEL 03-5210-3511 地図 講師 大日方純夫(おびなたすみお)氏(早稲田大学文学学術院教授) 日本、中国、韓国の研究者、教育者が共同で執筆にあたった『未来をひらく歴史―東アジア3国の近現代史』の日本側の編集委員長を務め、2005年に日本ジャーナリスト会議特別 賞を受賞 資料代 1,000円 三・一独立運動とは… 日本は1919年に「韓国併合条約」をおしつけて朝鮮(当時の正式国名は大韓帝国)の国家主権を完全に奪い、天皇の軍隊と警察力によって朝鮮の人々を支配隷属下に置きます。しかし、人々は抵抗し、日本からの独立を求める運動をやめることはありませんでした。1918年に第1次世界大戦が終わるころ「民族自決」への関心が国際的に高まり、人々は、国際社会へ訴えて独立を勝ち取る運動に立ち上がります。1919年2月8日に東京で朝鮮人留学生らが独立大会を行なったのをきっかけに、ソウルなどで、宗教者、青年学生らが3月1日に集まり「独立宣言」を発表。広範な民衆が「独立万歳」を叫びながら街へくりだし、運動は各地に広まりました。3・1運動独立運動(3・1人民蜂起)とよばれています。 非暴力で歩き、あるいは走る民衆に対して、日本のとった態度は虐殺を含む武力鎮圧でした。 3・1運動は多くの犠牲者を出しながらその目的を達成することはできませんでしたが、日本は、武力統治を「文化政治」による植民地統治に転換せざるを得なくなりました。また多くの民衆の参加による運動は大衆運動の画期をなし、民衆の民族的意識が高まり、労働・農民運動などへの積極性も強まりました。この精神は、その後の抗日独立闘争、60年前の大韓民国建国、朝鮮民主主義人民共和国創建、現在の統一を志向する南北の当局者、各層の人々に受け継がれています。 |